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開発にまつわる話

数値風洞にまつわる思いで

日本原子力研究所
福田正大


 三好さんのスーパーコンピュータにかける情熱、またその行動力については誰一人知らない人はない。三好さんのスパコンプロジェクトは航技研に新しく導入される計算機が決まる頃には始まっている。数値風洞についても然り。数値風洞の一世代前の航技研の主力計算機は富士通VP400であるが、これが導入されたのは1986年である。この頃にはすでに次期計算機のための検討が進められていた。VP400は新しく「数値シミュレータ」予算として確保された資金により行われたが、この予算そのものがすでに数値シミュレータ(VP400)後継機開発を睨んだものであり、この計算機を設置するために建てられた建物?数値シミュレータ棟?も後継機の設置を想定して計画されている。それは常に他よりも先んじて新しいアーキテクチャ、世界最高速のマシンを「実用品」として世の中に出す、という強い信念の現れである。三好さんが次期マシンの目標性能値を決める時、その目標は高すぎず低すぎず、曰く微妙な設定を行う。ちょっと手を伸ばすだけ、あるいは背伸びするだけで届くような目標ではない。だからといって、到底無理だと匙を投げる値でもない。爪先立ちをして、背筋をウーンと伸ばし、腕を目一杯伸ばして、辛うじて届くか届かないか、である。これは技術者に安易に目標達成できるとも思わせない代わりに、努力すれば到達可能であるという達成感を味わわせる舞台設定である。数値風洞も実効性能でVP400の100倍以上という目標設定であり、理論性能では100GFLOPSを超える必要があった。これが実現した時、世界で初めて Linpack 性能で100GFLOPSを超える計算機が実現した。
 さて数値風洞といえば忘れてならないのは1994年に我が国で初めてゴードン・ベル賞を受賞したことである。より正確には数値風洞が受賞したのは「Honorable Mention」という賞であり、同じ年に東大の「GRAPE」という計算機も受賞している。本賞受賞に当たっては、受賞者リストに名前こそ載っていないが廣瀬さんの存在を無視するわけにはいかない。数値風洞が航技研で稼動を開始したのは1993年2月であるが、当時は日米スパコン摩擦が激しかった時期であり、数理解析部関係者は数値風洞に関する情報公開には神経質になっていた。廣瀬さんは、そのような「隠す体質」が無用な摩擦を生む原因であるのだから、と所属が空力性能部ということもあって、積極的に技術情報を国外向けに発信する労をとってくれた。もちろん公表する内容は事前に私達と相談はしていたが。そのお陰で94年度のゴードン・ベル賞選定委員会の委員長であった Horst Simon 氏が廣瀬さんに「アメリカの計算機よりもはるかに速い計算機があることを知っている委員会としては、数値風洞の応募がないゴードン・ベル賞を選定しても無価値である。すでに応募締めきりは過ぎているが是非応募して欲しい。」と連絡をしてきた。恥ずかしい話ではあるが数理解析部関係者はゴードン・ベル賞の存在も知らなかったので、事前に応募するということもなかった。正に「開かれた活動」こそが正しい評価を受ける、という典型であったと今でも思っている。
 数値風洞の知名度を高めたのは確かにその頭抜けた性能であったが、やはり研究手段である以上これを使ったシミュレーションが世界でどれだけ評価されたか、ということが重要である。航技研のCFD研究者のみならず他の方々にもお叱りを受ける覚悟で敢えて記させて頂きたい。数値風洞のお披露目が93年5月に開かれた折、私はとある人に「これまで日本の計算機性能はアメリカより悪いか、ほぼ同じかであった。ところが数値風洞はアメリカの計算機に比べてはるかに高速である。これだけの計算機を使って学術あるいは技術分野でどのような方向性を打ち出していくか、が問われるだろう。ある意味では今までは二番手ランナーとしての研究であってもそれなりであったであろうが、これからは先頭を走るランナーとしての自覚を持った研究がなされなければならない。我々はこのことに応えていけるだろうか・・・」と話した記憶がある。その後の研究活動がこの傲慢な思いを払拭するものであったことを願う次第である。
 このように書いた以上、数値風洞のシステムとしての問題点も書いておかなければならないだろう。その最大の問題点はシステムとしてのバランスの悪さにある。つまり計算機"だけ"は速いが、磁気ディスク容量やI/O性能、前後処理システム(少なくとも数値風洞導入当初には可視化システムはなかった)、ネットワークの有りよう、等々である。車で言えば、エンジンだけは立派だがシャーシーや足回りなどなどがエンジン性能に見合っていない代物であった。このことは計算機を研究手段として利用する研究者にとってはある意味では致命的欠陥である。そのことを棚に上げて「その後の研究活動がこの傲慢な思いを払拭するものであったことを願う次第である」と言うのは傲慢の上塗り以外の何ものでもない。このシステムバランスの悪さは三好さんが手掛ける計算機プロジェクトについて回り、地球シミュレータにおいても"然り"である。敢えていえば"計算機それ自身のスピードを追い求める"三好さんのプロジェクトの限界ともいえる。一方それはまた、我が国の多くのセンターがこれまで"目に見える数値"として、導入する計算機のCPU(処理)性能によって競争せざるを得ない、という状況に置かれていたことにも原因があるように思う。処理性能というのは分かりやすい数値であるが、システムバランスというのは説明の受け手に対する印象が弱く、限られた予算であればできるだけ多くを処理性能に投資しよう、というのがこれまでの流れであった。三好さんといえどもその制約の中にいた、という方が正鵠を射ているのかもしれない。
 稿を終えるに当たって6月に発表された「top500」リストからの話題を書きたい。この最新のリストでは数値風洞は241位にランクされている。随分下位になったなぁと思う一方、9年が過ぎてもまだこの位置にいる、ということに感慨も覚える。もう一つの感慨は、この9年の間の計算機アーキテクチャの変遷、あるいはその市場構造の変化を痛切に感じさせられるリストである、という点にある。トップはいうまでもなく三好さんが手がけた地球シミュレータであるが、三好さんの計算機開発人生と共にあった"ベクトルスパコン"は今や市場からの退場を求められているようにみえる。唯一残っている日本電気がどこまで踏ん張れるか・・・。リストに出てくる会社名のバリエーションも少なくなっている。今やスパコンは研究者、技術者の血湧き肉踊るテーマではなくなったのだろうか?三好さんが存命であったら何と思うだろうか・・・?
 数値風洞に関する思い出を書けばキリがない。数年間の心踊る時代を送らせてくれた数値風洞と三好さんに感謝しつつ筆を置く。


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